育児支援・ひとり親支援・動物愛護活動支援など、元小児科医の経歴を活かし様々なボランティア活動を行います。お気軽にご相談ください。

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                  3年前の4月15日に亡くなった兄犬Poohと最近のPuPuの様子 2

        ~私にとって今年の4月も、一生忘れる事の出来ない出来事がありました。~ 

         ~Poohの3回目の命日の前後と、最近のPuPuの様子をお伝えします。~

 前回は、Poohの命日の前に愛犬の様子を書かせて頂きました。私とPuPuとの目標は、Poohの命日を超えて“生きる”事でした。その日にPoohに新しくお供えするプリザーブドフラワーを飾りました。PuPuは、Poohの命日の日にPoohの生存期間を追い抜きました。その事をPoohに報告し、3人で喜びたい。『病気しているけど、元気でお兄ちゃんを超えたよ。』・・・って。目標は達成しました。でも、その直前にPuPuにとんでもない事が起こってしまったのです。その事をお伝えしたいと思います。

 毎月1回ずつ、罹り付けの獣医さんと高度医療センターを交互に2週間程度の間隔で、もう2年以上受診を続けています。膀胱腫瘍の経過は安定しており、大きな変化もなく過ごせていました。私は、姪の協力の元、とにかく生きている内に楽しい事を一杯経験させてあげたいと思って毎日を過ごしていました。コロナ禍で衰弱して、逝ってしまったPoohには出来ない事が沢山あり、後悔と申し訳なさでずーっと泣いている毎日だったので、PuPuには病気とその再発で余命を宣告されて以来、同じ事がない様に必死でした。

 2023年の6月に膀胱腫瘍の再発が判り、余命1年を宣告されました。『ずっとPuPuとは旅行に行けてない。』これからどうしようと思った私が最初に思い浮かんだ事でした。姪と姪の夫が一緒に行ってくれる事になり、軽井沢のグランピングの宿に1泊しました。久しぶりに訪れた軽井沢で、美味しい物を沢山食べ、前に行った懐かしい場所をあちこち訪ね、2人が本当に思い出作りに協力してくれました。その後も姪は私とPuPuを気遣ってくれて、旅行やお出掛けを本当に沢山して来たと思います。方向音痴で、行き着くのに人の2倍は掛かる私には、何よりの協力者でした。

 ワンちゃんの飼い主さん方は、愛犬の健康の為に『愛犬には、人間の物は決してあげない。』と思っていらっしゃる方がほとんどではないかと思います。私はその真逆で、一緒のお出かけの時は、私の食べる物を私だけが楽しむのではなく、PuPuにもあげてしまいます。ワンちゃんメニューがあるお店では、メニュー表を隅から隅まで確認し、PuPuが好きな物をオーダーする事にしています。一緒に楽しむために出掛けてきたのに・・・の思いが強いからかなぁと思いますし、その事がPuPuの健康を害した事はないか?と問われれば、返答に困ります。そんな思いの中で、今までにはなかった様な外出や旅行の回数にPuPuの体が悲鳴をあげている事に気付けませんでした。『病院にはきちんと通っているし、お薬もきちんと飲ませているし、必要な検査もしているし』異常には気付けると思ってしまっていたのです。

 今考えると、昨年11月の都内ホテル1泊2日の帰りに抱っこしていたリュックの中で嘔吐したのが始まりだったと思います。思った以上にPuPuの食欲に合わせて、沢山のものを食べさせてしまっていました。その時は、『食べ過ぎ?』と思って、余り大事に考えませんでした。嘔吐も続かなかったし、直ぐに元気になってくれたので、新たな病気のサインとは思いませんでした。

 その後も、姪が誘ってくれた時は、二つ返事で色々な所に行き、食べさせ過ぎには気を付けながら、あげる事は止めませんでした。

 ひどい症状が出た4月12日も同じ様に、姪に誘ってもらって出掛けました。とても暑い日差しの強い日だったんです。姪は午後に用事があったので、ブランチに行く事にしました。お店が混んでいて、食後姪は次の用事に急いで向かわなければいけなくなり、レストランを出てすぐの所でお別れし、最寄りの駅まで一緒にいけない状況になってしまいました。それでも必死に、もしかしたら同じ電車に間に合うかも・・・と思い、姪が急いで走って行く後ろを走って追いかけて行ったのです。間一髪で間に合って、同じ電車に乗りながら『1時間くらいで用事が済むから、もう一件何処かに行こうか?』と誘われ、私も姪の用事の駅でする事もあったので、待つ事にしました。時間つぶしの間にリュックに入れ、買い物もしました。リュックから出そうとした時、リードが濡れていて、吐物があるのに気付きました。『食べて直ぐ、走らせたり、暑いのにリュックに入れてしまったから・・・』とPuPuには謝り、汚くなったリュックに入れる事はどうしても入れなければいけない電車車内だけと思って、暑い中を歩いてもらわなければならなくなりました。『なんか変!いつもと様子が違う。』とは思いつつ、抱っこしたり、歩かせたりしながら姪を待ちました。でも、待っている内にどんどん具合が悪くなるのが判り、姪の用事が済む頃の時間にLineで連絡しました。もう一件は中止。姪と駅に向かい直帰する事にしました。

 嘔吐後、水分を摂らせ、電車内は冷房も効いていたので、大丈夫と思っていましたが、降りる寸前に膝に載せていたリュックを持ち上げた時、私のズボンが少し濡れていました。最後に飲んだ水とまだ胃に残っていた食物残渣をリュック内で吐いていたのです。『おかしい?』と思いながら家路を急ぎました。余りの吐物の汚れで全身を洗うしかありませんでした。具合も悪そうだし、外出後の疲れもあるのは解っていても、そうするしかありませんでした。なんとか耐えてくれて、洗い終わってから寝室で丸くなってとにかく休んでいました。私は、その他のリュックやリード等の処理や洗濯をして、片付けに追われて、終わった時には暗くなっていました。何度か様子を見に行くと殆ど動かずひたすら寝ていました。

 いつもは、戻って来ると沢山食べていても夕食はする子でした。でも、その日は私もPuPuも何も食べずに早寝をしました。夜中に摂った水分を再度嘔吐。それ以降は吐かなくなり、いつも通り今日は朝から食べ出すかな?と思っていたのですが、全く様子が違っていました。

 食べ物を用意しても食べないし、水を沢山飲む子が余り飲みません。お気に入りのクッションに寝ながら、時々目を覚ますと目がうつろなんです。尿は黄染し、排尿量も少な目でした。数日前から『アレッ!瞳が黄色いなぁ』と目薬をさしながら思っていたのですが、更に黄色味が増していました。12日からの3日間は、PuPuにとっての地獄だったのではないかと思います。大好きな野菜で野菜スープを作っても食べません。僅かにバナナと生のキャベツを少しだけ食べてくれるだけでした。

 症状が出てから3日目。もう待ったなし!と思いました。罹り付けに電話しましたが、予約が一杯で診て頂けませんでした。担当医がお休みの日であったのですが、高度医療センターに駄目元で電話しました。診て頂けると言って頂いた時は、何をさておき病院に向かいました。自宅からは、約2時間掛かります。お約束の13:00少し前に病院に着き、今日緊急対応して下さる先生に診て頂きました。『元疾患からだけでなく、他の可能性もあるので、色々調べさせて頂きます。』と言われ、PuPuを預けて、待合室で待ちました。小1時間程で、名前を呼ばれ、診察室に入ると『胆嚢にゲル状の物が詰まっていて、胆汁の排泄がうまく行っていない状況です。血液検査では、肝機能の著明な上昇(GOT>4900)と黄疸があって、胆嚢をすぐ切除する必要があります。幸い、明日時間の空きがあるので、このまま入院して頂き、明日担当医からの連絡をお待ち下さい。』その他、病状の経過に矛盾がない事や手術内容など細かくお話しして下さいました。とにかくお預けして、手術して頂く以外には、PuPuを連れて帰れる可能性はないと思い、承諾して手続きし、私だけ帰宅しました。瞳の黄染や尿の黄染がビリルビンによるものであった事に全く気付けませんでした。虚ろな目と元気の無さは、膀胱腫瘍の脳への転移ではないかと思っていたのです。

 翌16日にOpe。無事に済んで面会させて頂いた時は、覚醒はしていましたが、2年前の前回のOpeの時とは違い、声は出してくれませんでした。摘出した胆嚢も見せて頂いたのですが、腫大し、中には黒に近い濃緑色のゲル状の物が詰まっていました。胆嚢胆管の壊死はなく、胆管内にも同じ物質が詰まっていたので、洗浄し切除部を縫合し、ドレーン入れずに閉腹したと報告して頂きました。このような状態の胆嚢で、胆嚢胆管に壊死が無く、ドレーンを入れずに閉腹出来たのは、不幸中の幸いでした。次の日から食事が再開され、Ope後2日目でやっと声を聞く事が出来ました。毎日面会に通い、20日に退院しました。面会時、確実に毎日良くなっていたので、家に戻っても良いと言われた時は、すごく嬉しかったです。

 でも、前回の退院後とは違い、それからの3日間は、『退院を急ぎ過ぎてしまった。』と思う位元気も食欲もありませんでした。今日駄目なら・・・と思った4日目から回復の兆しが見えてきて、今は食欲も出てきて、安心してみていられるところまで回復しています。

 今回の失敗は、なんと言っても私の責任です。余命を宣告され、『生きている間に、出来るだけ楽しい時間を過ごしたい。』という思いが強過ぎて、逆に無理を強いていたのだと思います。高度医療センターでは、膀胱腫瘍を重点的に診て頂き、連携しながら罹り付けにそれ以外の異常のフォローをして頂いている思いでいました。でも、少しずつ罹り付け医は高度医療センターの医師がやり辛くならないように・・・という立場でPuPuを診て頂いて来ていたのだと思います。高度医療センターでは、毎回血液検査をしていましたので、罹り付けの病院では、膀胱炎・緑内障・湿疹の経過観察が主になり、今までしていたような血液検査は行っていませんでした。それをしていたら、肝機能の変化はもっと早く見つけてあげられていたように思います。ただ、高度医療センターの先生は、それに気付けて胆嚢の病変もエコーで確認出来たとしても、『様子をみましょう。』で経過観察になっていたと思うので、明らかな症状が出た時点でもOpeとなった点では、大きく変わりがなかったのではないかとは言って頂きました。でも、やっぱり、振り返ってみると、明らかに元気のない様子は散見されていたし、それを“老化”の一言で私は片付けていたと思います。一番身近で、毎日見ている私が『いつもと違う!』事に気付かなくてはいけなかったのです。医師をしていた頃、お母様の『いつものこの子と違うんです。』の訴えには、決して帰さず入院をお願いした自分を忘れてしまっていました。不覚です!そして、『待ったなし!』と思った4月15日はPoohの3回目の命日でした。Poohが私の背中を押してくれたんだと思います。

 ウワー!本当に長くなってしまった。ただただPoohに感謝!感謝!のバーバでした。

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