彬子女王の日本美のこころを読んで・・・ 2 ボンボ二エールのお話し
2025/05/09
~本を開いて直ぐワクワクした零戦のボンボニエールの写真、他のお話し。~
~贅沢品と思っていたボンボニエールを一つだけで良いから欲しくなってしまいました。~
前回は、表紙を捲って直ぐの零戦のボンボニエールの写真にワクワクしたと書きながら、ボンボニエールのお話に入れずに、盆栽の話で終わってしまいました。今回こそは、ワクワクしたボンボニエールのお話しをしたいと思います。
私にとってボンボニエールの様な装飾品は、高価でその輝きを維持するには手入れが欠かせない物は贅沢品で、維持する手間を考えると『やめておこう。』の選択肢が一番良いのではないかと思っていました。でも、今回幾つかの写真やそれを創ったエピソード等を拝読し、『私も何かの記念にいつか購入してみようか。』と思わず考えずにはいられませんでした。
彬子様がお暮らしになる三笠宮東邸の大応接室には、色とりどりのボンボニエールが並んでいるそうです。彬子様がお小さい頃は、お客様がいらっしゃらない時に大応接室に忍び込み、ボンボニエールの蓋を開けて中にある由緒書きをご覧になるのがお好きだったそうです。宮様方のお印や吉祥の模様のデザインされた銀や陶器製の小箱の数々は、夢の詰まった魔法の箱だったと述べていらっしゃいます。
皇室では、天皇の即位、立太子、お子様のご誕生、成年式、結婚式などの御慶次を記念して、意匠を凝らしたボンボニエールを制作し、引き出物としてお配りするという習慣になっているのだそうです。彬子様にまつわるボンボニエールは、2つあり、お生まれになった時と成年になった時のものだそうです。成年の時のものは、彬子様のお印である“雪の結晶”を配し、彬子様自身であれこれお願いして出来上がったもので、完成品を手に取られた時は、沢山のボンボニエールの仲間入りする事がとても誇らしかったと述べられていました。
西洋に学んで作られる様になったボンボニエールは、日本で姿を変え、主には記念品として作られる事が多く、掌に収まる小ぶりな物が一般的なのだそうです。学習院大学史料館には、明治・大正・昭和初期に調製された数々のボンボニエールが保管されているとの事です。その中に写真にあった零戦のボンボニエールがあり、その精巧さとプロペラ部分を外すと、そこには小さな金平糖がちょうど一つ入るスペースが現れるらしいのです。それで、零戦の写真のすぐ傍に金平糖が飾られている意味が納得出来ました。お造りになられた宮様の何の記念日にお造りになられたものかは記載がなかったのですが、宮様の遊び心が伝わってくる逸品だと述べられていました。
故秩父宮妃殿下の御著書“銀のボンボニエール”(1991年)の中には、ご自身の御婚儀が決まられた時に貞明皇后から手渡されたボンボニエールの事が詳しく書かれているのだそうです。その形やそこにしるされたお印の模様、更にそこに配された締めひもの色は、貞明皇后様の非常に深いおぼしめしが込められていたとありました。
読みながら、一つ一つが、本当に深い思いや意味を持って作られ、贈られている事に感動しました。少し残念なのは、彬子様の2つのボンボニエールの写真紹介がなかった事です。それもぜひ見たかったなぁと思います。そして、私は単なる一般人で、人に贈るほどは沢山のものも作れないし、何か取り立てて人にお知らせしたい記念日があるわけでもありませんが、独自のものでなくても良いので、小さなボンボニエールを制作とまではいかなくとも、既製品のもので、沢山見た中からお気に入りのものを探して、一つ購入してみたいと思っているバーバでした。
~贅沢品と思っていたボンボニエールを一つだけで良いから欲しくなってしまいました。~
前回は、表紙を捲って直ぐの零戦のボンボニエールの写真にワクワクしたと書きながら、ボンボニエールのお話に入れずに、盆栽の話で終わってしまいました。今回こそは、ワクワクしたボンボニエールのお話しをしたいと思います。
私にとってボンボニエールの様な装飾品は、高価でその輝きを維持するには手入れが欠かせない物は贅沢品で、維持する手間を考えると『やめておこう。』の選択肢が一番良いのではないかと思っていました。でも、今回幾つかの写真やそれを創ったエピソード等を拝読し、『私も何かの記念にいつか購入してみようか。』と思わず考えずにはいられませんでした。
彬子様がお暮らしになる三笠宮東邸の大応接室には、色とりどりのボンボニエールが並んでいるそうです。彬子様がお小さい頃は、お客様がいらっしゃらない時に大応接室に忍び込み、ボンボニエールの蓋を開けて中にある由緒書きをご覧になるのがお好きだったそうです。宮様方のお印や吉祥の模様のデザインされた銀や陶器製の小箱の数々は、夢の詰まった魔法の箱だったと述べていらっしゃいます。
皇室では、天皇の即位、立太子、お子様のご誕生、成年式、結婚式などの御慶次を記念して、意匠を凝らしたボンボニエールを制作し、引き出物としてお配りするという習慣になっているのだそうです。彬子様にまつわるボンボニエールは、2つあり、お生まれになった時と成年になった時のものだそうです。成年の時のものは、彬子様のお印である“雪の結晶”を配し、彬子様自身であれこれお願いして出来上がったもので、完成品を手に取られた時は、沢山のボンボニエールの仲間入りする事がとても誇らしかったと述べられていました。
西洋に学んで作られる様になったボンボニエールは、日本で姿を変え、主には記念品として作られる事が多く、掌に収まる小ぶりな物が一般的なのだそうです。学習院大学史料館には、明治・大正・昭和初期に調製された数々のボンボニエールが保管されているとの事です。その中に写真にあった零戦のボンボニエールがあり、その精巧さとプロペラ部分を外すと、そこには小さな金平糖がちょうど一つ入るスペースが現れるらしいのです。それで、零戦の写真のすぐ傍に金平糖が飾られている意味が納得出来ました。お造りになられた宮様の何の記念日にお造りになられたものかは記載がなかったのですが、宮様の遊び心が伝わってくる逸品だと述べられていました。
故秩父宮妃殿下の御著書“銀のボンボニエール”(1991年)の中には、ご自身の御婚儀が決まられた時に貞明皇后から手渡されたボンボニエールの事が詳しく書かれているのだそうです。その形やそこにしるされたお印の模様、更にそこに配された締めひもの色は、貞明皇后様の非常に深いおぼしめしが込められていたとありました。
読みながら、一つ一つが、本当に深い思いや意味を持って作られ、贈られている事に感動しました。少し残念なのは、彬子様の2つのボンボニエールの写真紹介がなかった事です。それもぜひ見たかったなぁと思います。そして、私は単なる一般人で、人に贈るほどは沢山のものも作れないし、何か取り立てて人にお知らせしたい記念日があるわけでもありませんが、独自のものでなくても良いので、小さなボンボニエールを制作とまではいかなくとも、既製品のもので、沢山見た中からお気に入りのものを探して、一つ購入してみたいと思っているバーバでした。