彬子女王の日本美のこころを読んで・・・ 1
2025/05/02
~本を開いて直ぐの零戦のボンボニエールの写真にワクワクしました。~
~盆栽に対する私の意識が変わりました。~
~贅沢品と思っていたボンボニエールが一つだけで良いから欲しくなってしまいました。~
久しぶりに、彬子女王のお書きになった本を読ませて頂いています。『赤と青のガウン イギリス留学記』で海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、博士号を取得されていらっしゃる彬子女王が、日本各地を回りながら、ご覧になった日本の美に関する2024年に出版された著書です。
表紙を捲ると最初に飛び込んで来たのが、零戦のボンボニエールの写真でした。『素敵!』と素直に思いました。これから読み始めるのに、心がワクワクして来ました。ほんの読み初めにこんな衝撃を感じたのは、初めての事かもしれません。
この所、家族の中にあったトラブルのお話を書き続けていたので、少しずつ自分の心が殺伐として来ている感じがしていました。その事をきっちり最後まで自分の思いを書き進めたとは言えないかもしれませんが、言葉に詰まって筆が進まず、時間ばかりが経過してしまいながら、どうにか一段落したので、少し心を休めようかと素敵な本との出会いの事を書く事にしました。
初めは、皇居内にある数多い見事な盆栽のお話が書かれていました。『エッ!』意外な感じがしました。でも、盆栽には全く興味のない私にも、読みながら『へー!こんなに奥深い思いで手入れをされているんだ。』と思い、一度見てみたい思いに駆られました。彬子様も盆栽にはあまり興味がなかったし、皇居に数多くの盆栽がある事を知りながら、あまりご覧になった事はなかった様です。日本の美に関する事をまとめられるに当たって、最も身近にありながらよくご存知ではなかった盆栽を紐解く事でこの著書はスタートしています。
折角なので、ボンボニエールのお話をする前に、少しだけ盆栽のお話も書いてみたいと思います。皇居内には、盆栽を集めた大道庭園という場所があるらしく、数百鉢の盆栽が収められているとの事でした。古い物では、樹齢600年を超える盆栽も存在しています。多くは江戸時代のもので、購入や寄贈により増えていったとの事でした。取材当時には600鉢を超えていて、多分今はもっと増えているのではないかと思います。毎日の水やり、剪定、植え替えなどのお手入れは、宮内庁庭園課の職員が当たっているそうです。戦時中も盆栽は疎開せず、職員の方々は命懸けで手入れを続け、今も台風などの気候的な災害に遭わぬように職員総出での主要な盆栽の小屋への避難などで、守り続けられているとの事でした。盆栽は、人の手を離れるとたちまち死んでしまうのだそうで、まさに『生きる芸術』と彬子様は称されていました。
盆栽と他の芸術との決定的違いは、“美が完成する事は決してない。”事なのだそうです。手入れをしているその方もその完成を見る事はなく、次の世代に委ねられるのだそうです。
盆栽は、宮中行事の行われる時が専らの仕事場なのだそうです。その日に合わせて更なる手入れをし、会場に配され、招かれた人の目に触れ、楽しませてくれるのだそうです。中には、四季によって変化する樹木もあるので、その見頃は1年の内でほんの数日。来賓の訪問に見ごろが重なる確率は限りなく低くなり、その最高のひと時を逃し続け、衆目の目に触れる機会を逃している鉢もあるそうです。上皇様の在位20年の慶祝行事に合わせて東御苑で盆栽が展示されたそうですが、時期が難しいもみじが本当に綺麗に色付いたのだそうです。一重に庭園課の職員の方々の労を労うべく、もみじが感謝の気持ちを皆様に表したかったのかもしれませんね。その時の事を話される庭園課の課長の誇らしげな顔が印象的だったと彬子様は書かれていらっしゃいました。今も行事に参列される時にそこに飾られた盆栽を見る度に、盆栽が生きてきた時間と、そこに存在した数々の物語に思いを馳せずにはいられないと締めくくられていらっしゃいました。
表紙をめくってすぐに目に入ったボンボニエールのお話を書くつもりで始めたのですが、前置きのつもりの盆栽のお話が長くなってしまったので、ボンボニエールの事も沢山書きたい事が沢山あるので、まずは一区切りにしたいと思います。
いつもいつも、ついつい長話になってしまうバーバでした。今は、盆栽の手入れをしながら、老眼鏡を鼻の下の方に下げ、その隙間から上目遣いに盆栽を見て、手入れをしているご老人を見る事は、無くなってしまいましたね。
~盆栽に対する私の意識が変わりました。~
~贅沢品と思っていたボンボニエールが一つだけで良いから欲しくなってしまいました。~
久しぶりに、彬子女王のお書きになった本を読ませて頂いています。『赤と青のガウン イギリス留学記』で海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、博士号を取得されていらっしゃる彬子女王が、日本各地を回りながら、ご覧になった日本の美に関する2024年に出版された著書です。
表紙を捲ると最初に飛び込んで来たのが、零戦のボンボニエールの写真でした。『素敵!』と素直に思いました。これから読み始めるのに、心がワクワクして来ました。ほんの読み初めにこんな衝撃を感じたのは、初めての事かもしれません。
この所、家族の中にあったトラブルのお話を書き続けていたので、少しずつ自分の心が殺伐として来ている感じがしていました。その事をきっちり最後まで自分の思いを書き進めたとは言えないかもしれませんが、言葉に詰まって筆が進まず、時間ばかりが経過してしまいながら、どうにか一段落したので、少し心を休めようかと素敵な本との出会いの事を書く事にしました。
初めは、皇居内にある数多い見事な盆栽のお話が書かれていました。『エッ!』意外な感じがしました。でも、盆栽には全く興味のない私にも、読みながら『へー!こんなに奥深い思いで手入れをされているんだ。』と思い、一度見てみたい思いに駆られました。彬子様も盆栽にはあまり興味がなかったし、皇居に数多くの盆栽がある事を知りながら、あまりご覧になった事はなかった様です。日本の美に関する事をまとめられるに当たって、最も身近にありながらよくご存知ではなかった盆栽を紐解く事でこの著書はスタートしています。
折角なので、ボンボニエールのお話をする前に、少しだけ盆栽のお話も書いてみたいと思います。皇居内には、盆栽を集めた大道庭園という場所があるらしく、数百鉢の盆栽が収められているとの事でした。古い物では、樹齢600年を超える盆栽も存在しています。多くは江戸時代のもので、購入や寄贈により増えていったとの事でした。取材当時には600鉢を超えていて、多分今はもっと増えているのではないかと思います。毎日の水やり、剪定、植え替えなどのお手入れは、宮内庁庭園課の職員が当たっているそうです。戦時中も盆栽は疎開せず、職員の方々は命懸けで手入れを続け、今も台風などの気候的な災害に遭わぬように職員総出での主要な盆栽の小屋への避難などで、守り続けられているとの事でした。盆栽は、人の手を離れるとたちまち死んでしまうのだそうで、まさに『生きる芸術』と彬子様は称されていました。
盆栽と他の芸術との決定的違いは、“美が完成する事は決してない。”事なのだそうです。手入れをしているその方もその完成を見る事はなく、次の世代に委ねられるのだそうです。
盆栽は、宮中行事の行われる時が専らの仕事場なのだそうです。その日に合わせて更なる手入れをし、会場に配され、招かれた人の目に触れ、楽しませてくれるのだそうです。中には、四季によって変化する樹木もあるので、その見頃は1年の内でほんの数日。来賓の訪問に見ごろが重なる確率は限りなく低くなり、その最高のひと時を逃し続け、衆目の目に触れる機会を逃している鉢もあるそうです。上皇様の在位20年の慶祝行事に合わせて東御苑で盆栽が展示されたそうですが、時期が難しいもみじが本当に綺麗に色付いたのだそうです。一重に庭園課の職員の方々の労を労うべく、もみじが感謝の気持ちを皆様に表したかったのかもしれませんね。その時の事を話される庭園課の課長の誇らしげな顔が印象的だったと彬子様は書かれていらっしゃいました。今も行事に参列される時にそこに飾られた盆栽を見る度に、盆栽が生きてきた時間と、そこに存在した数々の物語に思いを馳せずにはいられないと締めくくられていらっしゃいました。
表紙をめくってすぐに目に入ったボンボニエールのお話を書くつもりで始めたのですが、前置きのつもりの盆栽のお話が長くなってしまったので、ボンボニエールの事も沢山書きたい事が沢山あるので、まずは一区切りにしたいと思います。
いつもいつも、ついつい長話になってしまうバーバでした。今は、盆栽の手入れをしながら、老眼鏡を鼻の下の方に下げ、その隙間から上目遣いに盆栽を見て、手入れをしているご老人を見る事は、無くなってしまいましたね。